フランス人の「綸言汗の如し」

「綸言汗のごとし」とは、尊い人が言った言葉は、汗のように一度、出てしまうと元に戻ることはなく、取り消してしまえるわけではないということを意味する。もちろん、私たちは一般庶民であるが、貴人に倣って、できるだけ一度発言したことは撤回しない、という正直さを求める倫理観がある。だからこそもっと通俗的に「男に二言はない」というような表現も世俗に使われてきたのだろう。

しかし、フランスで生活をし、仕事をしていると、男であれ、女であれ、二言も三言もありふれているように感じる。もちろん、日本でも、前言を撤回されてしまうようなこと、時間が経つと少しずれたことを言い出す人はいる。しかし、フランスの場合は、一般に、口頭で言ったことが、日本よりもずっと軽々しくとらえられているような節があるのである。仕事でパートナーに難しい質問をしても、軽々と明確に返事をしてくれる。しかし、あとで調べてみると、少し事情が違うというようなことが往々にしてある。

プライベートでも同じようなことが起こる。来週一緒にランチを食べましょうという口約束をしても、直前に再確認をしておかないと、待ちぼうけを食らうようなことも少なくない。フランス語だと、Est ce que c’est toujours bon, notre rendez-vous?というように確認の電話をしたり、メッセージを送っておくことが、日本以上に大事である。

こういうことを経験すると、日本からの移民や、日本人駐在員の中には、フランス人には誠意がない、仕事が雑だというような感想を持つ人が出てくる。なんらかの迷惑をこうむった場合はなおさらである。こうして、言葉の重みというものは、文化によって随分違うものだという話になる。

しかし、これは必ずしもフランス人に誠意がないとか、仕事が雑だということにはならない。フランスの文化でも、綸言汗の如しなのであるが、恐らく空気が乾燥しているせいなのだろうか、その汗はすぐに乾いてなくなってしまうのである。その汗が残って、意味を成している期間は、日本と比べて短いが、フランス人同士では、その期間についての概ねの了解があるので、誤解にはならないというわけだ。

逆に、フランスでは、書いている文書に対して、日本以上に重きを置いていることを考えるべきだろう。日本では、契約に書いていないことであっても、お客さんのご要望だからきちんと対応しておこうなどと、約束をそのまま履行しないことはよくある話である。フランス人からすれば、明確に、客観的に書き残されたことを守らないのだから、こんな不誠実で雑な話はない。

書き言葉と話し言葉に込められた重みの配分は、国の文化によって異なるという、それだけの話である。

フィードバック

  1. たいぞう のアバター

    面白い見方ですね。

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