東京フィルハーモニック・オーケストラ 

日本人の共感力と同調性

地元の街に東京フィルハーモニック・オーケストラが来るというので、フランス人の友人に誘われ、彼の友人たちとともにコンサートに行ってきた。前半は、バイオリンのソリストを加えたチャイコフスキーの交響曲。クラッシックに造詣のない私でも、柔らかく優しい旋律に、穏やかな癒しに包まれるような演奏だと感じられた。

休憩時間、運のよいことに友人グループに地元在住の日本人ピアニストの女性がいらっしゃって、その方の感想を伺うことができた。彼女は開口一番、本当に素晴らしい演奏であったと言う。とりわけ、それぞれの楽器が「お互いに語り合う」ようなパートで、旋律の調和が素晴らしかったとのこと。彼女によれば、それぞれの楽器奏者が、お互いを深く理解した上で、音の調和を作り出す。しかもその音響の交わりが生み出すその全体は、ひと際に輝く、個性ある美しさを実現している。欧州のオーケストラで、様々な楽器がそれぞれの個を主張する中で生まれる美しさとは異なる、日本人のオーケストラならではの素晴らしさ、ということらしい。

その話を伺ったとき、私の頭をよぎったのが、日本のモノづくりにおける、すり合わせ技術のことである。例えば自動車を製造する際に、例えばエンジンでも、電気系統も含め、様々な要素技術をうまく組み合わせて作られる。ここでは、それぞれの要素技術が、他の要素技術の動きや特性を十分に考慮した上で、自らの動きを調整し、全体としての最適を実現することが求められる。このすり合わせ技術は、日本が他国と比して優れているとされ、また、理屈ではなかなか説明できず、真似ができない特性であるともいわれている。

このような特性は、恐らくは、優れた音楽家や技術者だけのものではなく、市井の日本人にも備わっている特性なのではないかと私は思っている。卑近な例では、渋谷の多方向交差点では、近くのビルの上階にあるカフェから人々の動線を見物するのが、一部の外国人旅行者の間で人気らしいが、様々な方向から横断していく日本人が、ぶつかり合うこともなく、すいすいと通り過ぎていく姿に感嘆の念を覚えるということのようだ。

このような日本人の在り様は、日本社会の行動規範というだけではなく、この国で生まれ育った人たちが自然と身に着けているしぐさであり、身体的な特徴でもある。日本では、なにかと他人への配慮を求められる文化がある。私自身、今は亡き親父から、人に迷惑だけはかけるな、と言われて育った。この国の人々は、他人の行動を無意識のうちに見て取り、他人の行動やその意図を察した上で、自らの行動を律し、他者との関係を調整することに慣れている。このような日本人の精神性と生活態度は、日本人の音楽家からなるオーケストラ、日本の技術者によるモノづくり、そして、市井の人々の公共空間における行動などに反映されているのではないか。

他者の行動によって自己を規定していくこの行動様式は、ともすれば、同調圧力であるとされ、個性を押しつぶしてしまう因習として切り捨てられる。確かに日本社会では、同調を求められる傾向があり、その中で表現され得ない「個性」というものがあるのかもしれない。ただ一方で、同調性を身体的特徴にまで昇華させた日本文化では、同調圧力のある社会で育ったからこそ発揮され得る、優れた「個性」も存在するということだと思う。

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