横断歩道 フランス人と規則

私が住んでいる街には、17世紀に建設された運河が通っている。ポプラの並木が美しい遊歩道をのんびりと散歩するのが楽しい。家から5分ほど歩き、運河へ行くためには、並行して走っている県道を渡る。その信号を待っていたときのことだ。


4才ぐらいの男の子を連れた母親と、二人の大人が信号が青になるのを待っていた。その時、車の流れが途切れたのを見計らって、二人の大人が赤信号にも関わらず、小走りで横断歩道を渡っていった。すると、その二人の動きに連れられて、男の子が道を渡ろうとする。もちろん母親が慌てて「渡っちゃだめよ」と息子を制止する。

男の子は不思議そうに「どうしてだめなの?」と聞き返す。すると母親は「あなたはまだ小さいからだめなのよ」と諭した。

子どもはみんな大人になったらしたいこと、小さな夢、大きな夢をたくさん持っている。自分だけでお友達の家に遊びに行きたいな。自分の犬を飼ったりしたいな。電車の運転手になりたい。宇宙飛行士になりたい、というものあるだろう。女の子であれば、お化粧をしてきれいなドレスを着てみたい、などというのもあるかもしれない。

でも、フランスの子どもたちは、「大きくなったら、赤信号でも道路が渡れるようになるんだ」ということも、将来の小さな「夢」リストのなかに入れる可能性があるのだと知った。

日本人の子どもたちにはない夢である。日本で生まれ育てば、原則としていかなる状況にあっても信号を守らなければいけない。それは大人になっても同じことである。交通規則を守るという規範に一生涯、拘束され続ける。

どっちがよいという話ではない。日本とフランスでは、規則に対する態度が根本的に異なるのである。日本では規則は社会で決められたことで、これをきちんと守ることが大人のあるべき姿である。荒唐無稽な規則と思われても、悪法も法という態度が取られることが多い。

しかし、フランスでは、ルールはしゃくし定規に守るべきものではない。大人であれば、規則の網を潜り抜けて、うまく自らの利益と社会の要請の折り合いをつけることができるようになる。むしろそれができるようになってこそ大人なのである。

この小さい男の子を持つ母親の「規則観」は、交通規則だけにとどまらない。あらゆる社会の規則でも恐らく同じことがいえるのだろうと思う。商法や税法であろうが、ごみの分別回収のルールであろうが、これらの規則にいかに対峙すべきなのか。フランス人は常にそのことを考える訓練がされているといってよいだろう。

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